大判例

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東京高等裁判所 昭和38年(う)2181号 判決 1964年6月19日

控訴人 原審検察官

被告人 東岡富弥

弁護人 近藤健一

主文

原判決を破棄する。

本件を千葉地方裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は千葉地方検察庁八日市場支部検事田代暉作成名義の控訴趣意書に記載された通りであるからこれを引用し、右に対し当裁判所は次の如く判断する。

所論は、原判決は法令の解釈を誤り、不法に本件公訴を棄却したものであるから当然破棄さるべきである、と云うに在る。

よつて記録を調査するに、本件は銚子海上保安部司法警察員海上保安官において、被告人に犯罪ありと思料し昭和三八年六月三日起訴状記載の被害者常陸善太郎の妻たけ子の供述調書を作成して捜査に着手し、同月十一、二日に他二名の参考人の取調及び各供述調書の作成をなした上同月一二日銚子港内に繋留中の漁船広栄丸内で被告人を逮捕し、捜査を継続の上千葉地方検察庁八日市場支部の検察官に送致したものであり、同検察庁検察官は、同月一五日八日市場簡易裁判所裁判官の勾留状の発付を受けて被告人を勾留の上、更に捜査をなして同月二八日本件につき千葉地方裁判所八日市場支部に対し公訴提起の手続をとつたものであることが明らかである。

原判決が本件公訴を棄却した理由の要旨は、本件起訴に係る詐欺横領の各犯罪は何れも陸上において犯された犯罪と認められるところ、海上保安庁法及びこれに基づく諸法令、特に海上保安庁法第二条第一項、海上保安庁組織規程第一一条第三号の解釈上、海上保安官の捜査権は海上における犯罪に限られ陸上において行なわれた犯罪については捜査権なく、又一般司法警察職員等からの協力方依頼のない限りこれが犯人の逮捕(逮捕状の請求及びこれに基づく逮捕状の執行)をなす権限がないことが明らかであるから、本件犯罪については元来捜査に着手することができないものであり、本件捜査、逮捕、事件送致の各手続はすべて違法無効であり、又検察官は送致を受けた事件がないのであるから、勾留請求をすることも、公訴を提起することも許されない、それ故に本件公訴は違法無効のものであるから、刑事訴訟法第三三八条第四号により公訴を棄却すべき場合に該当する、と云うに在る。

しかしながら、検察官は司法警察職員からの事件の送致がなくても、犯罪があると思料するときは自ら犯罪を捜査し得ることは刑事訴訟法第一九一条第一項、検察庁法第六条の規定上論のないところであり、公訴の提起が検察官の専権に属することは刑事訴訟法第二四七条の明定するところである。そして本件公訴が千葉地方検察庁八日市場支部の検察官により提起されたものであることは本件記録に存する起訴状に徴し明らかであり、右起訴状には方式の違反もなく、又記載要件に欠けるところもない。従つて本件公訴提起の手続にはその規定に反するところはない。原判決は、海上保安庁法、海上保安庁組織規程等の判示法条の解釈上海上保安官は海上における犯罪のみに付捜査権を有し、本件起訴状記載の如き犯罪については捜査をなす権限を有しないから海上保安官のした事件送致は無効であると判示するのであるが、右事件送致の有効か否かは検察官のした本件公訴提起の効力に影響を及ぼすことはない。又捜査権のない海上保安官が作成した被告人及び関係人の供述調書は無効であると判示する。仮りに右各供述調書が捜査権なき者の作成に係るとしても直ちに之を証拠力なき無効のものとすることはできない。右各供述調書は偽造されたものではないのであるから、公判廷において、被告人又はその弁護人がこれを証拠とすることに同意すれば、刑事訴訟法第三二六条の規定によりこれを証拠とすることができるのである。そして現に原審第一回公判期日において、右各供述調書はすべて証拠とすることに同意され証拠調を経ているのである。してみれば原審裁判所はその自由な心証によつて右各証拠を判断し、実体判決をなすべきであつて、本件公訴の提起を違法無効として、公訴棄却の言渡をした原判決は、法令の解釈を誤り不法に公訴を棄却したことに帰着し、論旨は理由がある。原判決はこの点において破棄を免れない。

よつて刑事訴訟法第三九七条第一項第三七八条第二号に則り原判決を破棄し、同法第三九八条に従い本件を原裁判所たる千葉地方裁判所に差し戻すべきものとし、主文の如く判決する。

(裁判長判事 岩田誠 判事 飯守重任 判事 伊東正七郎)

原審検察官の控訴趣意

原判決には法令の解釈を誤り不法に公訴を棄却した誤りがある。

すなわち原判決は第一段階において海上保安官の捜査権限につき「海上における犯罪」を狭義に解釈し、本件につき捜査権限なき捜査であるとし、海上保安官の作成した供述調書のみならず事件送致も無効と断じ第二段において検察官の事件受理も存しないから公訴提起も無効であるとする構成になつているのでこの二点に分けて、その誤りである理由を述べる。

第一、原判決は海上保安官の捜査権限につき「海上における犯罪」を狭義に解釈して本件について捜査権限なき捜査であるとして海上保安官の作成した供述調書のみならず事件送致も無効と断じたことは海上保安庁法第二条乃至第十四条及び第三十一条の解釈を誤つた違法がある。

一、本件の公訴提起までの経過

本件は昭和三十八年六月三日に銚子海上保安部海上保安官が被害者の妻から電話による被害申告を受けて同日直ちに同女方に赴いて供述調書を作成して捜査に着手し同月十一日に関係人一名の供述調書を作成して同月十二日同保安部司法警察員海上保安官小倉雅男より銚子簡易裁判所に逮捕状を請求し同日逮捕状が発付され、同日司法巡査海上保安官石井厳が銚子港内繋留中の広栄丸内で本件被告人を逮捕し同月十五日検察官に送致し同日右被疑事実につき八日市場簡易裁判所裁判官の勾留状の発付があり同日執行したものである。

逮捕事実は、

被疑者東岡富弥は昭和三十八年二月初旬頃、銚子市新生一の三六漁業延縄漁船第二浮栄丸(三九噸)所有者常陸善太郎方において同人が船員不足で困惑していることを奇貨として真実漁夫仲介の意志がないのに「三重方面の良い漁夫三、四人を世話してあげましよう。それには手付金が必要」と言葉巧みにもちかけて良い漁夫を何人か世話してもらえると誤信した同人より即時、同所において漁夫雇傭の手付金名義の現金三万円の交付を受け、又同月十三日三重県志摩より電報により同人に対し「三万円要るので電替にてすぐたのむ」と申向けて翌日同人より現金三万円の送付を受けて、合計現金六万円を受けて騙取したものであり送達事実は

被疑者は

1、昭和三十七年二月七日頃銚子市新生一丁目三六番地常陸善太郎から同人が所有する漁船浮栄丸の船員募集を依頼され、応募者に対し手交する契約金として同人から現金三万円更に同月十三日三万円の電送を受けて、これを受取り、保管中、二月八日頃から同月末日頃迄の間擅にこれを自己に着服し生活費及び小遣等に費消して横領した。

2、昭和三十六年十二月十一日銚子市松本町二丁目九八一番地玉水産株式会社(社長石井庄平)に対し同社所有の鮪はえ縄漁船第三共進丸に三十七年三月一杯迄の鮪漁期中乗船するからと同社会計係重田哲二を申し欺き同人をして恰も被疑者が三月一杯乗船するものと誤信させ同所において、第三共進丸の甲板員として働きその配当から返済するべき前借金として

(1)  即時           現金 五千円

(2)  昭和三十六年十二月十三日 現金 二千円

(3)  同年十二月二十一日    現金 二千円

(4)  同年十二月二十二日    現金 五千円

(5)  昭和三十七年一月十六日  現金 二千円

(6)  同年一月二十九日     現金 二千円

(7)  同年二月四日       現金 五千円

計二万三千円の交付をうけて迯走もつてこれを騙取した。

3、銚子市浜町一八七番地旅館業米山あい方において代金支払の意志と能力がないにも拘らず「金を忘れたから明日持つてくる。」又は「近く歩合精算があるからその際支払う。」と恰もこれがあるように装つて同家家人をしてその旨誤信させ同家において

(1)  昭和三十六年 五月頃 三千五百円

(2)  同年十一月七日      二百円

(3)  同年十一月日       四百円

(4)  同年十一月二十日     五百円

(5)  同年十二月十二日     四百円

(6)  同年十二月十五日     四百円

(7)  同年十二月十六日     四百円

(8)  同年十二月十七日     四百円

計六千三百円に相当する飲食宿泊を為し、その代金を支払わないで財産上不法の利益を得たものであるところ検察官は送致事実中第一の事実は起訴相当と判断したが逮捕状請求書記載の犯時は昭和三十八年度となつているが実際の犯行は昭和三十七年であり法律構成も横領、詐欺の二罪とすべきであるので送致事実をもつては起訴がたしと認めて本件公訴事実の如く修正し求令状起訴したものである。

二、公判経過

第一回公判期日(昭和三十八年七月十五日)において被告人は公訴事実を自白し検察官より別添第四の通りの証拠申請をなし被告人側は全部これに同意し証拠調べを終了

第二回公判期日(昭和三十八年七月二十九日)において被告人側より示談書の証拠申請があり検察官これに同意して結審

第三回公判期日(昭和三十八年八月十三日)裁判官より弁論再開をなし海上保安官の捜査権限につき検察官に釈明を求めたので検察官は「海上保安庁法第二条及び第三十一条を統一的に解釈し陸上における犯行であつても犯人が港内停泊中の船舶内にいる時は捜査権限があると解さる」旨の釈明をなし、裁判官の被官人尋問があつて結審したものである。

三、海上保安官の捜査権限について

海上保安官の捜査権限については海上保安庁法第二条第三十一条等の解釈をめぐつて従来論議の存するところであるが原判決の所論は運用の実際に適しないものであつてこれに賛同することを得ない。すなわち原判決の如く「海上における犯罪」極めて狭義に解釈する場合は都道府県警察の捜査権限と海上保安官の捜査権限との境界に空白地帯を作るものであつて海上保安庁法の目的を達成し得ない解釈と思料する。すなわち、海上保安庁法第一条は海上保安庁の設置目的を「海上において人命及び財産を保護し並びに法律の違反を予防し捜査し及び鎮圧するため」であるとしているところから海上保安庁は海上における取締全般、海上における犯罪の捜査、海難救助、海上における人命及び財産の保護等をその所掌事務とし海上における一切の警察権を所管するものである。故に海上においては国の警察権の総ての分野が海上保安庁に帰一しているものと解されるわけである斯かる観点に立つて「海上における犯罪」の概念を考察するときはこれを狭義に解すべきではなく所謂海上保安庁法第二条に規定する「海上における犯人の捜査及び逮捕」の概念は同法第三十一条と統一して解釈してこれを「海上における犯罪の捜査」の概念と範囲を同じくするものと解釈すべきであると思料する。この事は海上保安官の職務規程である同法第十四条第三項の権限と同法第三十一条の司法警察職員としての職権範囲とを一致させるものである。すなわちかく解することによつてはじめて鉄道公安職員の職務規定(鉄道公安職員の職務に関する法律第三条)の如き明示規定が設けられていない為に其の運用上明確さを欠くと共に狭義に解すれば具体的妥当性を欠く海上保安庁法の不備欠陥を補うことができ海上取締の万全を期し得られるのであつて同法の目的にも沿う法解釈であると信ずるものである。この様な法解釈の根拠としては海上保安庁法第二条の「海上における犯人の捜査及び逮捕」が「犯人の海上における捜査及び逮捕」の概念よりも広く後者の場合はその権限行使の範囲が海上に限られることとなつて捜査の一貫性を欠く結果となり而も現行法上警察官に捜査の引継をなし得る何等の規定も設けていない事等から右は「海上における犯人の捜査及び逮捕」と読むべきであつて「海上における犯人」である以上その犯人について捜査権限を有するものと解されることにある。勿論「海上」とは社会通念上の海上と解されるところから海中及び海上における船舶上も含まれることは明白である。ところで本件の被告人は原判決認定の如く昭和三十七年二月に陸上で犯罪を敢行して昭和三十八年六月十三日午前九時三十五分に銚子港内に繋留中の漁船広栄丸内において逮捕されたわけであるから叙上の法解釈によれば尠くとも六月十三日以降は海上保安官に捜査権限があると解すべきである。一方被告人の供述調書によれば昭和三十八年五月七日頃から漁船広栄丸の漁撈長として同船に乗込んで名古屋港を出港して中南大平洋方面の延縄漁業に出漁し同年六月十日頃銚子港に入港したもので本件の捜査着手時である昭和三十八年六月三日には海上にいたことを窺知し得るわけであるから本件事案については当初より海上保安官に捜査権限があると解すべきである。

第二、原判決は明らかに刑事訴訟法第三百三十八条第四号の解釈を誤つた違法がある。

すなわち仮りに原判決の如く海上保安官が捜査権限外の捜査を遂行しそれが違法と判断されるとしてもそれは捜査手続の違法であつて供述調書の有効、無効或は逮捕およびこれに基づく勾留の違法性の有無の問題を生ずるのみであつて事件送致の違法とか、いわんや事件受理の不存在等と言うことは全く論外であり、ましてやその為に事件受理後の検察官の公訴提起手続の効力に消長を及ぼすものではない。

刑事訴訟法第三百三十八条第四号はその規定の示す通り公訴提起手続がその規定に違反して無効であるときに限るのであつてこれを例示すれば

(イ) 起訴状の方式違背(訴因不特定等)(ロ) 訴訟条件の欠缺(親告罪等の告訴告発等の欠缺)(ハ) 権限なき者の公訴提起(ニ) 公訴提起なき場合の訴訟係属等公訴提起時におけるその手続自体の形式的訴訟条件の欠缺を理由として公訴を不適法とする場合であつて起訴前の捜査手続等の違法とは全く無関係であつてその範疇を異にする事項に属するものである。公訴提起は刑事訴訟法第二百四十七条に定められているとおり検察官の権限である。そして本件公訴の提起はその形式的条件において何等欠けるところがない。従つて原審は当然実体の審理に入るべきでありその場合前述のとおり海上保安官作成の供述調書の証拠能力の有無の問題はあるとしても検察官は検察庁法六条に明らかなとおり本件について捜査権を有するのであつてその作成した供述調書は当然証拠能力を有することは明白であり、従つて原審は本件について実体審理を遂げることが出来るものであつた。然るに原判決は此の点を看過して権限外捜査乃至供述調書の無効は事件送致の無効を来たし事件送致の無効は勾留請求の違法乃至公訴提起手続の無効を来たすとの独自の見解にたつて本件公訴を棄却するに至つたもので到底これを認容することを得ない。特に本件においては海上保安官の請求した逮捕状に基づく逮捕と逮捕状請求の事実に基づく勾留中における検察官の取調べの結果、改めて求令状として公訴を提起し裁判官が勾留状を発付し勾留のまま公判審理が続けられ、公訴棄却判決のあつた八月十九日に勾留取消決定があつたものでかかる事案につき公訴棄却を言渡した判決を容認することは到底許されないと思料する。以上の理由により原判決は当然破棄をまぬがれないものと思料されるので、破棄の上さらに適正な裁判を求める次第である。

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